ねこ好き一家のねこ漬け日々

ねこが好きすぎる変な我が家を少しずつお届けするブログ

飼い主の話

 

あすかの面白写真集を更新する前にいきなりですが自分語りを。お付き合いください。

 

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以前書いた「あすかがうちに来るまで」というブログであすかが来る前にもう1匹「りょうた」という猫がいた事をここに書いた。

 

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物心ついた時からずっと猫と一緒にいたわたしは猫がいない生活を考えることができない。りょうたが亡くなってあすかが来るまでのほんの数週間、それこそ2週間くらいしかなかった短い期間ではあったがわたしを含めた家族はみんな、かなり強めのペットロスに陥った。

あすかは「保護猫」という形で我が家にやってきた。りょうたもよくよく考えれば保護猫なのだが、あすかに関しては保護サイトを通じて保護主さんと直接お話をしてトライアルをして正式に我が家にゃんとなった子である。

 

もともと猫への探究心が強かったわたしは高校に進学する頃から「動物のことを学びたい」と県内の農業高校へと進学した。さらに大学もそのまま農業系の大学に行く事を決めていたのだが、高校3年間で学んだ「動物のこと」は主に畜産、つまり経済動物である牛や豚、鶏をメインとした内容だった。もちろん猫を含めたペットの授業もなくはなかったが、3年生になってから行われた動物科学や生物活用といった限られた授業でのほんの一部に過ぎなかった。

一時期、唯一と言ってもいいくらい高校でたくさんペットの勉強ができたシーズンがあった。それは「愛玩動物飼養管理士」の資格勉強シーズンだった。この高校に進学した理由はこの資格が受けられることもだいぶ大きく、高校2年で準2級、高校3年で2級を取得した。1級もそろそろ取ろうと考えている。

「やっぱりどうしても猫の勉強がしたい、ペットの授業が聞きたい」と思ったわたしは高校3年、それも進路を確定しないといけない数週間前に担任に「希望学科を変える」と話をした。行く大学は同じだったが畜産系の学科からペットと植物系の学科に変更した。

 

大学へと進学後、ペット系の授業を優先的に受講し単位を習得していき卒論もペット系の研究室で書くことにした。猫こそいない研究室だったがその研究室には5匹の犬がいた。犬がいることもあり研究室は圧倒的に犬派率が高かった。あとスナネズミもやたら大量にいた。

学祭では猫ブース担当として同期や後輩を引っ張った。あそこまで猫に没頭できた時間がたまらなく大好きだった。各家庭から猫の動画を集めて編集して猫ムービーを永遠とブース内で流した。大きな模造紙に猫の生態を纏めながら自分の勉強時間にもした。人に正しく猫の知識を伝えるには自分が詳しく理解しないといけない。猫が毛色によって性格が変わるのは理解していてもじゃあ何色がどういう性格になりやすいのか、猫には利き手があるが雌雄で手が変わるのか、猫と犬のボディランゲージの違いはなんなのか。改めて学んで理解したこともたくさんあった。犬ブースと比べると室員の数が倍くらい違うので人手不足だったが大学に泊まったりみんなで買い出しにいって来場していただいたお客さんたちに、より猫の事を身近に思ってもらいたかった。今思えばもうこの頃から猫に関わることができる仕事に就きたいと思っていたのかもしれない。

 

動物を仕事にするのはものすごく大変なことである、と研究室の教授がことあるごとに言っていた。我々は研究人だから大学の教授として動物とも関われるし、いいお給料ももらえる。でも民間はこうはいかない、自分の時間・お給料・生活などなにかを犠牲にしないとやっていけない。命を預かる以上どれかは切り捨てないといけない。でも君たちに社会に出てそんな酷なことをして欲しいとは思っていない。だからこの大学の教授としては失格かもしれないが動物以外の仕事に就いてほしい、もしそれでもやるなら相当の覚悟を持ってほしい、と。犬界の中でトップに君臨すると言われている教授が言うからきっと本当のことなんだろう、と軽い気持ちで当時は聞いていた。

 

大学で教職をとっていたわたしは運も巡り、とある農業高校の臨任教諭として雇用が決まった。学科こそ動物ではなかったものの同期や子どもたちに恵まれ、もちろん楽しいことばかりではなかったが、今思えば楽しい教員生活を送っていたと思う。

ただ、ずっと心の中にモヤがあった。あすかを我が家に招いた際に「わたしの力で1匹でも多い猫が幸せになれるなら」と思っていたのは紛れもない事実である。猫は外猫と家猫で寿命が10年ほど変わる。その子たちがそれぞれ一生を終える際にそれぞれの形で「幸せだった」と思ってもらいたい。もちろん外が好きな猫もいる、家の中でぬくぬく過ごして幸せな猫もいる。おこがましいことかもしれないが、その子たちにあった幸せを提供できる手伝いがわたしにならできるんじゃないかな、と。今ここで教員をしていれば食いっぱぐれることもない、この年齢にしてはいいお給料がもらえ仲良しの同期や先輩たちと過ごす日々には感謝をしている。でも。とずっと心の中のどこかに猫に対する思いがあった。親にその気持ちを打ち明けて理解してもらうまでにも時間がかかった。「もったいない」「考え直しなさい」といろんな人にたくさん言われた。同期たちには辞めるか悩んでいる事をまったく言い出すことができなかった。それでも猫のためになる、わたしにしかできないことがしたいと言う気持ちは変わらなかった。教員生活2年目の夏前には辞めることを決意した。一部の同期にもすべてを話した。

 

このコロナ禍で教員を辞めると決意し校長にもその話が伝わった頃から「本当にこれでいいのか」との迷いが少し生じるようになった。それと言うのもこのご時世なかなか仕事も見つからず、ましてや「猫」と言うキーワードを就活に入れるだけでだいぶハードルは跳ね上がる。ここで教授がいっていた「なにかを犠牲に」の言葉がよく理解できた。お給料は手取りで13〜15万がせいぜいだった。貯金もあるのであまり気にはしてなかったがそれでも今よりだいぶ少ない。気持ちが先行して辞めると言ったのは間違いだったのか、せめてコロナが収まってからのがよかったのか、でもコロナが収まるのを待っていたらいつになるのかわからない。そんな事を次第に考えるようになってしまった。

 

ある日、いつも仲良くしている1人の生徒が突然「わたし夢できたの!先生みたいな先生になる事!教科は違うけど頑張って大学にいって免許取る!」と授業中に話しかけてきた。

目が覚めた感じがした。こんなわたしでも誰かの夢になることができたんだ、子どもたちは必死に手探りで今後の進路を自分なりに掴もうとしているんだ。だったらわたしにだってできるんじゃないか。これは親に言われたことでもあるが、4月から新しい仕事をスタートできなくたっていい、少しの間休みながらやりたいことが出てくるまでゆったりしっかりしてればいい、今焦って変な仕事に就くことが正解ではない、と思うようになった。

 

年度終わりの離退任式でだいぶびっくりされていたらしい。予定が詰まっていて離退任式出られなくてごめんね。春休み中にわざわざ会いに来てくれた子もいた。ブーケを自作してくれたりお菓子たくさん買ってきてくれてその場でお菓子パーティしたり、みんな友達のように接してくれて居心地が良かった。年齢も1番みんなに近くて、ほかの先生に生徒と間違われることが多々あるようなガキ臭い先生だったけどこの2年間みんなに会えて仲良くなれて本当に嬉しかった、楽しかった。先生みたいな、と夢を語ってくれた子は3枚綴りの手紙をくれた。今も大事に取ってあるし、心がしんどくなった時にはお世話になると思う。すでに何回か読んだ。ありがとう。

 

そして今日、わたしはまだ猫に関わる仕事に就くことができていない。動物病院、ペットショップ、猫カフェ。様々なところの担当者さんと話をした、実習もした。話を聞いて自分からお断りすることもあった。わがままだとも思った。それでも自分が納得できることがしたい。エゴだと思う、猫を利用して自分の価値を上げているだけだとも思う、でも猫に対するこの気持ちが揺らぐことはきっと今後一生ない。そんなわたしにも夢はある。いつか将来、自分の保護猫カフェを作って猫そして人の縁を結ぶことが今の人生の目標、夢になっている。

 

さらに、教員時代の同期にも「犬飼いたいから一緒についてきて!」と言われたり、飼った後も「これどうしたらいい?」など頼りにしてもらう場面が出始めていて自分自身、今この現状にとても満足している。

思いきってこんなご時世にかなりすごい決断をしたなぁと自分ながらにも思っているし、教員決まりましたといった時のいろんな人の喜ぶ顔を知りながら台無しにしてしまった申し訳なさもある。

ただ、今しかできないこと、夢をやりたくなった。もう少しだけ猫と深く関わりたくなった。そのうち愛玩動物飼養管理士も1級取ってもっと猫の事を様々な分野から知っていきたい。現場を知ってノウハウを学んで自分の知識にしたい。将来1匹でも多くの猫の幸せに繋げてあげたい。

 

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長々とありがとうございました!拙い文章を今の気持ちそのままに振り返りながらだったので読みにくかったと思います。また適度にあすかの日常を更新していきますのでいつでも見に来てください!

 

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